6月に始めた英語-日本語の勉強会。その後週2回ペースで順調に進んでいます。
この間、アメリカ人の勉強パートナーの日本語はどんどん上達して、彼のこつこつと勉強を進める姿勢には驚いています。私のほうはというと、英語が目に見えて上達したかは分からないけど、彼から、私とは全然違う(アメリカ的な)ものの見方をたくさん教わってきました。毎回毎回、考え方の違いを発見しています。
今日は、「ちょうどいい」という日本語の表現の練習として、もし日本の家に泊まることになった場合の問答:
「湯加減はいかがですか」「ちょうどいいです」という表現を教えてあげました。ところが、どうも彼は湯加減を聞くというシチュエーションがピンと来ないみたいでした。お風呂のお湯の温度くらい自分で調整するはずだ、というのが彼の主張。話を進めていくと、要は、お風呂の入り方について共有できていなかったからだったんです。バスタブにはあらかじめお湯が張られていて、お風呂でまず体を流して体を洗ってからお風呂につかる、お風呂の床には排水溝があるからバスタブの外で体を洗っても水があふれることはない、ということを説明して、やっと「湯加減はいかがですか」のシチュエーションを共有できました。
ものの考え方に関する違いにも時々遭遇します。違う考え方に触れることで、自分の性質が分かって、カルチャーショックさえ受けることもあります。
例えば文章の書き方について。ときどき、私が書いたエッセイを見てもらっているのだけれど、彼はあくまでもすべての文章のつながりにおいて論理的な展開と明確な主張を求めてくる。しばらく、なぜ彼が論文でもない文章に対してそこまで求めるのか分からなかったのだけれど、最近ようやく、私は「なんとなく、あいまい」なことを書いてしまう傾向があって、それが彼にはよくわからないのだということに気づきました。
まだまだ自分の知らないことがたくさんあるんだということにびっくりしています。
8/21/2008
「湯加減はいかがですか」の背景
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2 comment(s):
私はすっかり日本人の頭で固まっています。
柔軟なhiroyoちゃんが素晴らしい☆
こんにちはー
柔軟かなぁ、どうなんだろう?
このごろ、ふと日本ではどうだったかを忘れる時があって、ちょっとこわいです。
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